
お世話になっております。品川(社内通称:じゅんさん)です。
ブログを閲覧いただいている皆様、いつも暖かいご声援に感謝いたします。
前回の私のブログでは、「センドカルチャーと真の支配者について」というエントリーをさせていただきました。
内容としては
・センドメンバーを大きく分類しご紹介させていただく
・その結果見えてきた、真の支配者を特定していく
というものでございます。
結果として、普段おっとりとした「つっつん」が真の支配者だったとわかりました。
お陰様で誰に忖度をすればいいのかがクリアになり、表向きは穏やかな日々を過ごすことができております。

センドも気がつけば26人のチームになりました。大変魅力的な方々で、自慢のメンバーです。
代表者として、メンバーの皆さんに心から感謝しております。







私のブログでは、こんな魅力たっぷりな弊社メンバーを毎回少しずつご紹介していきたいと思います。
今回のブログは「私はセンドにこうしてジョインした」です
今回はランダムに5名の方を選び、センドへの入社の経緯をご紹介させていただきます。

今回ピックアップするのは、
しんご、圭司、ラッキーさん、佐山、つぼっち
創業3期目までに入社いただいた方の中から選定させていただきました。
しんご
しんごさんは創業時からサポートスタッフとして手伝ってくれていて、創業一期目の終わりに正式にジョインしてくれました。センドが私の自宅兼事務所だったころから知っている数少ない一人です。
彼とは大学時代の友人です。
学生時代の彼は顔面偏差値が非常に高く学業も優秀だったため、「延岡の神童」と呼ばれておりました。

笠井と会社を作ることを決めた翌週、当時東京に住んでいた私にしんごさんから電話がありました。
「来週東京に出張いくっちゃわ〜。サーフィン一緒いきたいっちゃわ〜。純の家に泊めて欲しいっちゃわ〜。」
友人だったのでもちろん快諾し、当日彼からの連絡を待ちました。
しかし、待てど暮らせど連絡は来ません。何時にくるのかもわからないし、本当にくるのかもわかりません。心配になった私は彼にLINEや電話をしましたが、一向に返事がありませんでした。
「東京で迷子になってるんじゃないか?そうこうしているうちに携帯の充電が切れたんじゃないか?」
と、すごく心配になったのを覚えています。
連絡がないまま、時刻は深夜12時を回りました。心配で寝るに寝れません。私は彼の連絡を待ちました。
そして1時を越えた頃、やっと彼から連絡がありました。
「会社の人と飲みいっとったちゃわ〜!今じゅんの家の最寄り駅ついたっちゃわ〜!寝ずにそのままサーフィンいきたいっちゃわ〜!」

その時私は心の底から思いました。
この人とは仲良くできないと。
サーフィン後もムカつきがおさまらない私は、こいつの人生を無茶苦茶にしてやろうと思いました。
そして帰りの車の中で
「笠井と会社作るからお前も手伝え」
といいました。
すると彼は
「え?マジで?オッケー!」
と返事してきました。

結果、彼は今センドにいます。
圭司
圭司は二期目に入社してくれました、現時点の男性最年少メンバーです。
広告チームのディレクターとして4人のメンバーをマネジメントしてくれています。彼は本当に真面目な男です。
彼と私は義理の兄弟です。
私の実家にいくと、死んだ魚のような目をした彼に会うことができます。

まだまだ事業が軌道に乗ったとは言い難い一期目の終わりに、共同創業者の笠井が
「純さん、馬車馬のように働く若手男子が欲しいっす!ブラックなやつがいいっす!」
と言い出しました。すでに入社していたしんごも
「それいいね〜!!馬車馬サイコー!!」と同調しています。
今の時代とかけ離れた彼らの発言に、背筋が凍ったのを覚えています。
こんなパワハラまがいの条件に耐えられる子なんているわけない、私は途方にくれました。
そして、身内を巻き込むしかないと考え、圭司への連絡を決断しました。
圭司に連絡し、私は全力で嘘をつきました。
・うちの会社は順調だ。
・うちの会社の未来は明るい。
・笠井としんごは最高のやつらだ。
数回の食事を経て、圭司はセンドへの入社を決意してくれました。
笠井としんごも、入社前の圭司を馬車馬扱いすることなく可愛がってくれました。私はホッとしました。
しかし、その安心は長くは続きませんでした。
圭司が前職に退職の意向を伝えた瞬間、笠井は豹変したのです。
入社前の圭司に、笠井は途方もない量の課題を与え、
「おい圭司、お前、入社までにこれできるようになっとけよ」
と脅し出したのです。
私は恐怖で震えました。

そして迎えた入社初日、私はさらに恐怖のどん底に落とされることになります。
圭司がPCを開いたと同時に、彼のPCは大量の更新プログラムが起動し動かなくなりました。
こまめに開いていれば絶対に発生しない量の更新プログラムが動き出したのです。
どう考えても、数ヶ月間は電源がオンにされなかった時くらいの途轍もない更新プログラムが動き出したのです。
ちゃんと課題をやっていれば発生する訳がないであろう大量の更新プログラムが動いて全然終わらないんです。
そう、圭司は、笠井のパワハラを完全に無視し、与えられた事前課題を何一つやっていなかったのです。

笠井は怒りに震え、圭司にいいます。
「お前、課題やってないだろ!!!」
そして圭司はこう答えました。
「いや、やりました。」
かくして圭司は「更新プログラムが終わるのをひたすら待つ」という初日の業務を黙々とやりとげました。
彼は本当に真面目な男です。
ラッキーさん
ラッキーさんは創業三期目に入社してくれました、本社最年長メンバーです。
入社初期はセンドのクリエイティブ領域を牽引してくれ、今はコンサルタントとして顧客の売上拡大に従事してくれています。
彼は私の大学時代の先輩です。そして、新卒入社した会社の先輩でもあります。
当時はそこまで面識はありませんでしたが、東京時代に再会し、そこから関係が深まりました。

私は、センドの拡大にはクリエイティブの見識が深いラッキーさんが必要不可欠だと思っていました。
ですが、前職で活躍していたラッキーさんでしたので、声をかけるタイミングを間違えると一緒に働くことはできないと感じておりました。
そんなおり、ラッキーさんから飲みのお誘いをいただきました。そしてその会で、その当時お勤めの会社を退職する旨を伺いました。
私は今こそ声をかけるタイミングだと思い、一緒に働きたい旨を伝えました。
そして、笠井、しんごと会って欲しいと伝えました。
すでに大手企業からも声がかかっていた彼ですので、最初は話半分の反応でした。でも、実際に笠井、しんごと会ってくれ、そして、なんとその場で大手を蹴ってセンドへの入社を決意してくれたのです。
その時のことをラッキーさんは「君たちは俺を、三顧の礼で迎え入れてくれた」と振り返ります。

私は入社を決めてくれたことにすごく感謝しました。その気持ちを込めて、盛大に歓迎したいと思いました。
そこで正式入社前ではありましたが、センドの飲み会に参加いただき、メンバーに紹介する場をもうけました。私は、メンバーと楽しく談笑してくれる、そんな場を想像しておりました。
しかし実際に私の前に広がったのは、地獄絵図でした。
・お酒に飲まれ、暴言をはくラッキーさん。
・最年長ということをいいことに、若手メンバーを罵るラッキーさん。
・いきなり現れた知らない暴れるおじさんに凍りつくメンバーたち。
こうしてラッキーさんは、センドの歴史上最も最悪なイメージを持った人として入社することになるのでした。

ちなみに現在のラッキーさんは、その時凍りついたメンバー達から「おい、ラッキー」と呼ばれております。
佐山
佐山は、現在本社のコンサルティングチームを牽引してくれております。その圧倒的な営業力で、たくさんのお客さんを魅了しているスーパー営業マンです。
彼は私の新卒同期です。面接も同じ日で、一緒にその会社に入ろうと決めた仲でした。入社後の彼はとてつもない努力と行動量で成果を上げ、一躍、社内中の有名人になりました。
その会社を卒業した後は共にマーケティング業界に進み、常に私に刺激を与えてくれる存在でした。

私は、センドが次のステージにいくためには、笠井に並び営業を牽引する存在が必要と考えておりました。そして、真っ先に思いついたのが佐山でした。ですが、彼を呼ぶのは容易なことではないと考えておりました。
当時佐山は東京で仕事をしておりましたし、なにより最大の理由としては、
笠井と佐山は似ている部分も多くあり、二人ともスーパー営業マンとして尖りまくっている。もしかしたら衝突する可能性があるんじゃないか?
と考えていたからです。
そこで私は、創業間もない頃から笠井に「いつか呼びたいやつがいる。いつかあって欲しい。」と伝え、二人を合わせるタイミングをうかがっていました。
そんなおり、佐山から出張で福岡にくるので飲もうという連絡をもらいました。
なぜか私は、笠井と佐山を引き合わせるのはこのタイミングしかない!と考え、笠井に急遽電話を入れました。
そして、
「以前からあって欲しいと言っていた佐山が福岡にきている。今から時間あるか?」
と伝え、笠井を連れて佐山に会いにいきました。
二人が会うということは、私にとっては「ゴジラ vs キングギドラ」もしくは「エイリアン vs プレデター」クラスの危険な遭遇でした。まさに賭けでした。
会が終わる頃には殴り合いになっていないか、とてつもなく緊張したのを覚えています。

佐山と軽い近況共有を行い、一次会、二次会と会を重ね、、、気がつけば、二人は肩を組み合っていました。
そして、
「佐山さん、センド入るっしょ?入るしかねーっすね!いつ来れますか?とりあえずはっちゃんラーメン食いましょうよ!」
という笠井の呼びかけに対して、
「当たり前だろ!調整するから待っとけ!とりあえずはっちゃんラーメン食おうぜ!」
と佐山が答えるという謎の状況になっておりました。
彼らはゴジラとキングギドラではなく、ただのラーメン大好きブラザーズでした。

私は一体に何に緊張していたのでしょうか。
つぼさん
最後に、みんな大好きつぼさんです。元芸人というユニークな経歴を持つ彼は、センドの魅力を発信する広報マンとしてPRをメインに、時にはクリエイティブ、時には総務と、マルチな活躍をしてくれています。
彼は私としんごの大学時代の友人です。当時からユニークなキャラクターで、仲間内のムードメーカーでした。

つぼは大学を卒業後、東京に乗り込み芸人生活をスタートしました。
大手有名事務所に所属し、たくさんのライバルに囲まれ、相方の変更などもありながら、芸人としての活動を続けていました。
私も東京に住んでいる時は、よく彼のお笑いライブを見にいきました。
大学時代の仲間達は、自分達にはできない大きな夢を追いかける彼を心から応援していました。ただ、芸人の世界は厳しいところだろうとは思っておりましたので、もし万が一、つぼが夢破れた時に戻ってこれる場所を作りたいよね、なんて話をしていました。
こんなこと本人には迷惑な話でしょうから、もちろんつぼには言いませんでした。ですが、私の起業のモチベーションの一つであったことは間違いありませんでした。
会社が二期目に入った夏頃、メンバーも6人になり少しずつ大きくなる手応えを感じている時に、大学の仲間内に一つの連絡がありました。
「つぼが、解散するらしい」
私たちも30代後半に入っておりましたので、致し方ない判断だったんだと思います。
そして私は、
何がやれるかはわからないけど、センドが彼のセカンドキャリアになるのであればと思い、長年話をしていた彼の帰る場所になるのであればと思い、センドのメンバーにつぼを引き入れたいという想いを伝えました。
当時つぼと会ったことがなかったメンバーたちも、誰一人反対することなく、快諾してくれました。本当に嬉しかった。
そして私はメンバーの想いを託され、つぼに連絡し、会う約束をしました。

東京でつぼに会い、解散の経緯、現在やっていること、これからのことなどを聞きました。
現在はバイトで生計を立てながら、ピンで活動するかどうかを悩んでいるということでした。
私はつぼにセンドの説明をし、一緒に働いている仲間達のことを話し、これからの会社の展望を伝えました。
そして
「一緒に働かないか?」
と伝えました。
みんなも受け入れてくれる、つぼの力が必要だと伝えました。
すると彼は、私にこう答えました。
「あー、まあ、考えてみるわー。その人達のこと知らないしねー。」

私は思いました。
いや、お前は来いや!!38歳で一度も働いたことないおっさんを、うちの会社以外でどこが受け入れてくれるんや!!!
経験豊富なメンバーが即決しとるのに、お前が断んなや!!!!!
でも私も大人です。その言葉をグッと飲み込み、
「わかった。なら、連絡待っておくね。今が7月だから、年内を目処に連絡ちょうだい。」
といい、つぼと別れました。
その後、待てど暮らせど一向につぼからの連絡はきません。そして約束の年末を迎え、気がつけば年を越えました。
流石の私も堪忍袋の尾が切れ、つぼにLINEしました。
「約束の期限を過ぎたので、うちに入ってもらうという話はなかったことにしよう。変な誘いをごめんな。お互いそれぞれの道でがんばろう。応援してる!」
するとそれまで一切連絡がなかったつぼから速攻返信があり、
「入る!!入ります!!すぐ福岡に戻ります!!よろしくお願いします!!」
彼は、2月1日にはセンドに入社していました。

そんなつぼさんも、気がつけば入社4年目に入り、現在は管理部門で全社に向けてさまざまな指示を出しています。
管理という職種上、メンバーに厳しく言わないといけないこともたくさんあります。
時としてメンバーが期日を守れないこともあります。
その度にメンバーに厳しく指導するつぼさんを本当に頼もしく思います。
でも、心の中で私はいつも思います。
「いや、期日に関しては、おまえがいうなし」
つぼさん、これからもよろしくお願いします。
終わりに
大変長くなり失礼しました。
入社の時からすでに魅力的でユニークな部分を発揮してくれていたことに、改めて感謝いたします。
話は変わりますが、最近益田さんは仕事中にビールを飲まなくなりました。
一安心です。
そんな益田さんが、先日不思議なTシャツを着ていましたので、最後にご紹介させていただき、このブログの締めとさせていただきます。

センドは今日も平和です。